予約する

profile

誰かに決められた未来じゃなくて
自分の未来は自分で造るもの

自分が本当にやりたいこと、できることは何かを10代の頃から考えていた。
高校卒業後自動車製造工場に就職するも、このまま同じような事をして働き続ける事で自分が得たいものを得られないのではないかと疑念を抱き、自分が『本当にやりたいこと』について向き合った結果、学生時に運動をしていた時に支えてくれた接骨院のことを思い出し、『健康と運動面でだれかの支えになりたい』という想いからカイロの道に進むことを決意。

その未来のために
何も持ってない自分ができることをやる

小さな事でもいいから何か始めないと何も変わらない。親に迷惑をかけたくないという一心で自力でお金を貯めることを決意。自動車製造工場で三年間働きお金を貯める。
資金が貯まった21歳で大阪にあるカイロの専門学校に入学。一人暮らしをしながら基本を学ぶ。授業料、生活費も全て自分で支払う為バイトをしながら学校へ通う毎日。
同期の友達が遊びに行く中、生活費を稼ぐ為に働きながらお金を貯める事の大変さに気づき、『お金の大切さ』を感じ、3年間かけて稼いだ学費で学ぶ2年間。

お金を稼ぐ大変さと大切さを学んだからこそ
真剣に勉強できた

苦労して貯めたお金で学ぶからこそ何一つ無駄にしたくない!そこで自分は何を学び得られるのだろうかということを真剣に考え、この2年間、必死で学ばないと後がないと感じた。
卒業後すぐに開業する事は難しく当時は事例もなかったが、いち早く開業したいという気持ちが強かった。開業後必要なのはカイロの知識だけではなく、直にお客様と向き合う事や経営についても学ぶ必要があると感じ、学校に通いながら、一流のカイロで働かせてもらうにはどうしたらいいかを毎日考えていた。

100点じゃなくては意味がない

完璧を目指すために努力を怠らなかった。
当時就職一番人気の治療院があり、そこの医院長が学校に講師として
教えにきてくれていたので二年間学校で一番の成績を取り続ければ、
その可能性があるんじゃないかと思った。
常に満点を目指す。テストも実技も99点は0点と同じだと思うくらい真剣だった。
同じ学校に通う友達とも仲がいいけどライバル。
誰にも負けないようにとにかく勉強した。
その結果が身を結び、成績は一番を取り続け一年も終わろうとしていた頃、
遂に就職したいと思っていた治療院の院長に声をかけられる。
『君、最近頑張ってるね。うちにバイトにこない?』
先生の立場から生徒の頑張りをしっかり見ていてくれたんだと感動。

自分の未来を思い描くクセをつくる

想像した未来通りではなくても、そこへ向かう為の思考と努力が未来を造る。
学びながらお金を稼ぐ環境を勝ち取ってから、学校と治療院を往復する毎日。
気づけば入学してから1日も休む事なく学び、働いてきた。
『10年後の自分を想像してみなさい』という言葉に共感を受け、自分の治療院を開業していて好きな車に乗ってて、年収はこれぐらいで…家族がいたらいいな、とその時からしたら途方もない夢を描いていた。途方もない夢と思いつつも、あと10年後に理想とする自分になってる為には今何をしたらいいのかを考え始めていた。
夢を達成させるまでに10年しかない。今年中に達成しなくちゃいけない事はなんだろう。
今月何をしたらいいのか、今日何をしたら成長できるのか。
ぼんやりした夢がハッキリと輪郭を持ち始めた。
20歳の頃って自分がなりたい!って憧れる大人像が近くにいなかった。
10年後の30歳には思い描いていた30歳になれたと思う。

好きなことを仕事にしたい、続けたい
と思ってる人のお手伝いをしたい

自分なりに理想を掴んできたから今度はお手伝いがしたい。
やりたいと思ったことは全部やろう、と考えるようになってからは大変ではあったけど毎日がとても楽しくて充実していて、未来を造ることは生きていく上で大切なことだと感じた。
好きな事を仕事にできたら幸せなので、趣味のマラソンを活かした事業も展開したいし、マラソンをしている人を応援したい。マラソンだけではなくスポーツを続けたい。
ずっと健康で何かに挑戦できる身体を維持することを、サポートし続けたい。
これから先もずっと。

河端 拓実Takumi Kawabata

たくみカイロプラクティック 代表

経歴

1986年
金沢市出身
2005年
株式会社トランテックス入社
2008年
株式会社トランテックス退社
2008年
日本カイロプラクティックドクター専門学院入学
2011年
日本カイロプラクティックドクター専門学院卒業
2011年
大阪中央カイロプラクティック院入社
2011年
大阪中央カイロプラクティック院退社
2015年
たくみカイロプラクティック開業